快消息!第八章 放弃对胜利的无用感情

时间:2023-02-19 07:08:50       来源:哔哩哔哩

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第八章 放弃对胜利的无用感情

从判断中得出的解答


(资料图片)

图5是南二局西家第10巡的手牌,听牌是在作为第9巡的上一巡,碰出上家打出的7m后打出6m。

场上出现了1枚6m和3枚9m,所以这里会理所当然地选择听牌。这里我的持有24300点,仍然可以争取一位的位置(首位点数为33300)。

如图5所示,作为宝牌的7p被抓进手牌后打出了8m,舍牌如下。

牌河一开始平平无奇,但如果细看的话,最后的8m手切会显得很违和。因为碰出7m后打了6m,接着又手切8m,所以很明显手里有678m的面子。换句话说,这是从678m的形状故意暴露出7m打出68m。如果是这样,在鸣牌7m时,向听数不会改变。

那么为什么有必要做这样的事情呢?对手恐怕会对此包邮疑虑,而且可以想象到他们得出这样的结论,“转成对对和了吗?”

既然副露了7m,那么可以认为手里有满贯的种子,特别是役牌是很难打出手的,一般人都是这么想的吧。

虽说不是故意这样弃牌,但可以推测,当一张2m从top手里切出来的时候,一定是处于这样的心理状态。

在麻将中,有不少棋局都是根据对手给出的问题推导出答案,这一局或许可以说对手很好地落入了我方的圈套。

胜利的必要条件

关于人的心理让我想起了,大约五年前,我的一个熟人说过这样的话,“比方说,自己在听牌等待4m7m,对手等待1m4m时,自己突然打出1m。这种时候,我就无法容忍麻将的不合理。”听了这个我想(这个人不适合胜负的世界)。

已经是宝牌2的手牌了,摸到6m或赤5s的靠张就听牌。在这里可以说是摸到了绝好的6s进张,要是打出立直后自摸4s那就是庄家倍满的牌了。然而南家却在这时追立直了。

这也是高目三色的胜负手,而结果则是庄家的一发放铳,外加上一枚里宝牌这成了倍满。我的朋友对这种局面感到非常愤怒,不知道大家会怎么想。

因为是倍满的放铳,所以作为点棒分数上来说确实很痛,也有无法挽回这个失分而成为末位的时候吧。

但是,除此之外怀有多余的感情完全没有意义,因为是“无用”的。因为无论如何都不可能作为庄家在这里和到牌。即使庄家在这里暂时默听了,反正南家是会立直的,除非是现物,否则西家、北家也不可能打出47s,充其量也就是南家多得到了一根立直棒的程度吧。

“我每次都在想,为什么明明是同一条筋的牌,自己却能抓住呢?”我对这样说的熟人这样回答。

“这么想有什么好处吗?”我无意与我的熟人争论,长年累月积累起来的情绪,不是那么容易就能消除的吧。但是…果然是“无用”的感情。

如果麻将是一局的胜负还好,但以这种精神状态在一定时间内战斗到底是不可能的。

反过来想想就好了,如果和这样的人战斗的话…情绪起伏太大,可能会在不同的局面下犯错,也被认为能善用这种局势的人将获胜。我打了20多年的麻将,从来没有见过一个获胜的玩家容易发怒冲昏头脑而失去冷静。

麻将是一场心理战。该如何取胜并尽量保持冷静,只要抓住这两点,就离胜利更近了。

8話 勝利へのムダな感情を捨てろ

読みから導く解答

図5は南2局西家10巡目の手牌である。

テンパイはこの前巡の9巡目。

上家から出た 7m をポンしての打 6m だ。

場には 6m が1枚と、9m が3枚飛んでいることもあり、ここは自然なテンパイ取り。こちらの持ち点も24300ならまだまだトップを狙える位置だ(トップ者は33300)。

そこにドラの 7p を引き込んで打 8m としたのが図5である。

捨て牌は以下。

序盤はいかにも平凡な河だが、見る人が見ればやはり最後の 8m 切りには違和感を覚えることだろう。

7m ポンの打 6m、そして次の 8m 手出しということは、手の内に 6m7m8m のメンツがあったことは明らかなのだから。

つまりは、6m 7m 8m の形からわざわざ 7m を晒して 6m、8m を払いにいったということである。

となれば 7m を鳴いた時点ではシャンテン数は変わらないことになる。

ではなぜそんな仕掛けをする必要があったのか。

恐らく相手方はそこに疑問を抱くはずだ。

そしてこのような結論に達するであろうことも想像できる。

「トイトイへの渡りか。」

7m を仕掛ける以上は手の内に満貫の種はあると考えられるし、特に翻牌は打ち辛い。

普通はそう考えるのではなかろうか。

意図してこのような捨て牌になったわけではないとは言え、1枚切れの 2m がトップ者からポロっとこぼれたときは、きっとそういう心理状態にあったのだろうと推測できる。

麻雀には与えられた問題に対して解答を導き出すという局面が少なからずあるが、この1局はうまく相手がこちら側の誘導に嵌ってくれたと言えるのかもしれない。

勝利への必須事項

人の心理で思い出したが、5年ほど前、私の知人がこんなことを言っていた。

「例えば自分が 4m 7m 待ちでテンパイしていて、相手の 1m 4m 待ちに 1m で飛び込んだとするじゃない。そういうときって麻雀の不条理さを許せなくなることがあるんだよね」

これを聞いて私は思った(この人は勝負の世界に向いてないな)。

既にドラドラの手牌で、6m と 赤5s のくっつきテンバイ。そこに絶好とも言える 6s ツモだ。リーチを打って 4s を引けば親の倍満である。

ところがそこに向かって南家が追っかけリーチ。

こちらも高目が三色の勝負手。

そして結果は親の一発放銃。

裏が1枚乗っかっての倍満である。知人はこういう局面に対して強い憤りを覚えるとのことだったが、皆さんならどう感じるだろうか。

倍満の放銃であるから点棒的には確かに痛い。 この失点を取り返せずにラスを引くこともあるだろう。

だが、それ以外に余計な感情を抱くことは全くもって意味がない。

“ムダ”なのである。

何故ならどうやったってこの親にアガりようはなかったからだ。

仮に親がヤミテンに構えたところで南家がどうせリーチなら、現物でもない限り西家、 北家から 4s 7s が出るとも考えられず、せいぜいリーチ棒を得した程度のものだったはず。

「何で同じスジなのにこっちが掴むんだよ、ってのは毎回思うよ」

そう言う知人に私はこう答えた。

「それを思うことで何かプラスがあるわけ?」

知人を論そうという気は別になかった。長年掛けて蓄積された感情というものは、そう簡単に払拭できるものでもないだろう。

だがしかし...。

やっぱり“ムダ”な感情である。

麻雀が1局の勝負であるならまだしも、この精神状態で一定時間戦い抜くことにはそもそも無理がある。

逆を考えてみればいい。

こんな人間を相手に戦うとしたら...。

感情の起伏が激しいということは、局面、局面でミスも犯すだろうし、ここを上手に利用できた人間が勝つとも考えられる。

私も20年以上牌に触れてきたが、頭に血が昇りやすい打ち手で勝っている人間を見たことがない。

麻雀は心理戦である。

いかに勝つか。

そして努めて冷静に。

この2点を押さえただけでも、勝利への道はグッと近づくと思うのだ。

关键词: 对胜利的 我的朋友 冲昏头脑